床島堰用水路江戸前水道
更新日:2013年6月12日
床島堰は正徳2(1712)年に難工事の末、完成したが、関連施設で現在当時の面影を残すものは多くない。その中で昔をしのぶものができるものとして水門に使われていた「享保十二年」銘の石材が南水道に残っている。
筑後川の水は恵利堰から床島用水を経て、江戸前に至り大堰神社の地点で大きく二分されていた。水路は小石原川を潜り、南北の二水道にわかれ、南北水門を経て各支線へと分岐された。南水道の水門を開けば、深々と真っ青の水が力強く大城・金島方面に流れていた。
北水道の水門を開くと勢いのよい水が白波をたてて中川を経て北野・味坂方面にはしり、各々多数の支線によって各村にいきわたっていた。水門を閉じると水路の水はことごとく小石原川に落ち込み、その運用は誠に自由自在であった。
現在、改修工事によって以前の南北水道は南の一水路にまとめられ、往時の姿は失われた。その中で、わずかに保存された北水道に当時の面影を残すのみとなった。
所在地
三井郡大刀洗町大字冨多1302番地1(大堰神社)付近