国史跡 下高橋官衙遺跡
更新日:2007年12月27日
下高橋官衙遺跡は宝満川東岸の小高い丘の見晴らしがきく位置にあります。本遺跡は東に郡庁・曹司院(馬屋元遺跡)西に正倉院(上野遺跡)と考えられるものからなり、あわせて奈良時代の郡衙(郡役所)跡と考えられます。
馬屋元遺跡は、東西175メートル、南北170メートルの方形区画を大小二重の溝が囲み、10棟以上の掘立柱建物が計画的に配置されており、「政庁」・「館」・「厨」などを含んだ「郡庁・曹司院」と考えられます。
上野遺跡は、東西150メートル、南北175メートル以上の方形区画を大溝が囲み、掘立柱建物が10棟以上計画的に配置されています。掘立柱建物のうち13棟が総柱建物(高床式倉庫)で、当時の税である「米」を収納した「正倉院」と考えられます。
また、両者の間には、現在の国道にあたる官道が、南北に延びているようです。
この遺跡は、奈良時代の「御原郡」の領域内にあり、ここから北西3.5キロには御原郡衙推定値として「小郡官衙遺跡」があります。小郡官衙遺跡は7世紀後半から8世紀にかけてのもので、8世紀中頃になると多量の鉄の矢じりが出土するなど、軍事的性格を強め郡衙としての性格が変わったようです。一方、下高橋官衙遺跡では8世紀中頃の出土品が多いことから、この頃御原郡衙が、小郡官衙遺跡から下高橋官衙遺跡に移転した可能性が考えられています。
この遺跡の調査では、地中レーダー探査で初めて掘立柱建物の柱穴が確認されるなど、画期的な成果もあります。
(現在はこの遺跡を保護するため埋め戻し、下高橋官衙遺跡公園となっています。)
指定年月日 平成10年1月16日
所在地
三井郡大刀洗町大字下高橋3356番地ほか